月別アーカイブ: 2016年3月

写真家、星野道夫さんについて。

気が付かなかったのだが、今年は写真家、冒険家、エッセイスト星野道夫さんの没後20年なのであった。最近NHK-BSで彼の特集番組があってそのことを知った。今年は武満徹さんの没後20年でもあり、そうか・・・、1996年は私に深い、深い影響を与えた二人の芸術家が相次いで亡くなった年だったのか・・・

もっとも武満さんと違って、星野道夫さんのことは亡くなった後にはじめて彼の名前を知ったのであったが(おそらく追悼のための写真展の開催や書籍が出版されるなど、メディアで名前を見聞きする機会が増えたためであろう)。アラスカの自然とそこに生きる動物や人々を活き活きととらえた写真と人柄を感じさせるエッセイ。私の音楽の様式は彼の写真や文章なしには確立しなかっただろう。実際、私は自作のひとつ、弦楽四重奏のための「天と地」を非公式ながら(ご遺族の許可をとっていない、という意味で)星野道夫氏に捧げている。

私の音楽は自然、とりわけ寒い地方の自然と民族の文化から多くのインスピレーションを得ている。それは幼い頃から両親によく山に連れていってもらったことと無関係ではない。高原の冷たく澄み切った大気、高い山に特有の、宗教的といってもよいほどの神聖な雰囲気。山への愛と北国への憧憬がいつしかひとつとなった。

もっと早く星野道夫さんのことを知っていればよかった。そうすれば生前、何としても会いに行っただろう。アラスカは何としても近いうちに訪れたい場所である。

あの日から5年。

2011年3月11日は誰にとっても忘れがたい日であろう。あの日の近辺の記憶を掘り起こしてみる。実は3月6日から震災の前日の10日まで私は東北から函館にかけてを旅している。

記憶では3月6日に東京駅から1日前に開通したばかりの東北新幹線はやぶさに乗って新青森まで向かう(駅に停車する度にホームではやぶさの車体を撮影するたくさんの人がいたのを思い出す)。一日目は五能線の千畳敷に、翌日は太宰治の生家である斜陽館に向かい、近くの民宿にそれぞれ一泊。そして3日目以降は青函トンネルを渡り函館に入る。

今思い返せば、既に小さな地震が頻発しており、そういうのを余震といったらよいのか、震災の予兆は確かにあった。8日夜、ホテルで休んでいると姉から携帯電話に連絡があり、厚木に住んでいる叔父が亡くなったことを伝えられる。「あんたいつ帰るの?叔父さんのお通夜は11日だからそれには間に合うように帰ってよ」。調子が乗ってくると一日、二日くらい帰京を伸ばすのが当たり前の私はそう姉に釘を刺された。今になってあれは亡き叔父に10日のうちに戻れ、と言われたのかもしれない・・・などと、思うのである。

しかし一方でこの時期、東北を訪れて被災した方々がいるし、何よりもそこに住まわれていて被災し、愛する人を失い、故郷を捨てざるをえなかった方々がいる。私と彼らの間に何か人間的な違いがあるわけではない。ただ、たまたま、偶然そういうことになった、という事実が存在するだけだ。そこには人間の浅い知恵が作り出す解釈も意味もまったく入る余地のない、人生の不条理、一切の無常があるだけである。

私に出来ることは亡くなられた方々の魂の平安と、そしてありふれた言い方ではあるが、被災地の一日も早い復興(被災された方々の心のケアも含めて)を祈り、自分に出来ることをする、ということぐらいである。そして音楽に何が出来るのか、ということも常に考えている。