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風、河そして星々・・・

いま私は、所属する作曲家グループ、深新会の作品展でこの冬初演予定の新作《風、河そして星々》~弦楽四重奏のための(2016)の作曲に取り組んでいる。取り組んでいる、といっても今まではほとんどがノートに構想のスケッチ、デッサンを書いてはボツ、また書いては・・・の繰り返しであったが、ようやく、まぁまんざらでもないか、と思える(全体の基礎となる)旋律素材をつかめたので、まもなく本格的な作曲に入る。つかみとった旋律素材はもちろん、私的にはまだパーフェクトなものではない。しかし今の私に出来る最善は尽くしたと思う。大事なのは力の出し惜しみをせず、ベストを尽くす、ということである。倒れる寸前までベストを尽くして、初めてまた次のステップ、道が見えてくるものかと思う。

とは言え、本当に大変なのはこれから。ものを作る、ということはとてもパワーが必要だ。なにしろ想念の中にしか存在しないものをこの現実の世界に引っ張り出してくるわけですから(笑)。創造とは純粋に体力の勝負と言えるだろう。続けていると筋肉と同じで心の筋力も付いてくるから面白い。

公演は本年12月7日(水)東京オペラシティ・リサイタル・ホールで午後7時。

 

国敗れて山河あり

・・・とは中国の有名な漢詩、「春望」の最初の一節。作者は杜甫。

国敗れて山河あり、城春にして草木深し。

戦乱によって都は破壊されても、山や河は依然として変わらず、春を迎えて草木が生い茂っている・・・

戦に敗れてもそんなこととは無関係に自然は変わらずそこにあり、永遠の時を刻んでいる、ということだろうか、人の世と自然とを対比して前者のはかなさと後者の永遠性を謳っているように思える。しかし今、日本は度重なる台風により山河は荒れ、人の心と体も深く傷ついている。山河が敗れれば人も敗れ、遠からず国もまた敗れる、ということを現代人(特に都市に住む人間)は忘れている。私たちにとって大地こそが全てである。自然が刻む時と営みは人の一生から見たら確かに永遠のように思えるかもしれない。しかしそのシステムはとてもこわれやすく、それは決して永遠のものではない。この台風は人間が作り出した地球温暖化によるものだ。地球の悲鳴が世の為政者たちには聴こえないのか。

追記:記憶では確か、かつてキース・ジャレットがこんなことを言っていた。「・・・もしもコスミックな音楽というものがあるとすれば、それは大地に根ざした音楽であるはずだ。この星がわれわれにとって最も身近なコスモスだからである」(細かな表現の違いは乞容赦!)。繰り返しになるが、私たちにとって大地こそが全てである。