国敗れて山河あり

・・・とは中国の有名な漢詩、「春望」の最初の一節。作者は杜甫。

国敗れて山河あり、城春にして草木深し。

戦乱によって都は破壊されても、山や河は依然として変わらず、春を迎えて草木が生い茂っている・・・

戦に敗れてもそんなこととは無関係に自然は変わらずそこにあり、永遠の時を刻んでいる、ということだろうか、人の世と自然とを対比して前者のはかなさと後者の永遠性を謳っているように思える。しかし今、日本は度重なる台風により山河は荒れ、人の心と体も深く傷ついている。山河が敗れれば人も敗れ、遠からず国もまた敗れる、ということを現代人(特に都市に住む人間)は忘れている。私たちにとって大地こそが全てである。自然が刻む時と営みは人の一生から見たら確かに永遠のように思えるかもしれない。しかしそのシステムはとてもこわれやすく、それは決して永遠のものではない。この台風は人間が作り出した地球温暖化によるものだ。地球の悲鳴が世の為政者たちには聴こえないのか。

追記:記憶では確か、かつてキース・ジャレットがこんなことを言っていた。「・・・もしもコスミックな音楽というものがあるとすれば、それは大地に根ざした音楽であるはずだ。この星がわれわれにとって最も身近なコスモスだからである」(細かな表現の違いは乞容赦!)。繰り返しになるが、私たちにとって大地こそが全てである。