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もの思う葦

たしか倉本聰脚本のドラマ「北の国から」に主人公の五郎が自力で井戸を掘るエピソードがあったと思う。周囲の者たちは素人には無理だから業者に頼め、と言うが、五郎は金がないこともあるが、何よりも、ある確信があって自分で準備し作業に入る。が、水はなかなか出ない。さらに掘削しているうち、大きな岩にぶつかりそれを砕いて除去するのに大変な手間と時間がかかってしまう。周囲の者はあんなところから水が出るわけがない、と笑う。しかしある冬の夜、作業中に地の底から水の流れる音が聴こえ、やがて少しずつ水が湧きだし始める・・・

あくまで比喩ではあるが、作曲も井戸堀りに似たところがある。ここら辺りの地中に水脈があるだろうと目星をつけ、掘り始めるのは、このテーマ、領域に可能性があると信じて作曲を始めるのに似ている。しかし創作は必ずしもうまくゆくとは限らない。掘っても掘っても水が出ないこともあるし、途中、固い岩盤に突き当たることもある。どうも掘る場所を間違えたのではないか、これ以上掘っても意味がないのでは?早々に切り上げ、別の場所を掘った方がよいのではないか?・・・判断を迫られるところである。そんな訳で作業を続けるには最初に受けたインスピレーションと自分の感性を信じられなければならない。

私の個人的な経験と感覚から言うと、作曲の過程で地中から湧き出る水は生命力の奔流に他ならない。そしてその流れの湧出は大地およびコスミックなエネルギーと繋がったことを意味する。古代の人間が芸術、とりわけ音楽を発見あるいは作り出した最も原初的な理由、動機はここにあると考えている。あくまで私の手のひら、体で感じ取った個人的な意見であるが。