弦楽四重奏というものについて

昨年末、私が愛して止まない写真家・星野道夫さんの没後20年を記念して、弦楽四重奏のために書いた「風、河そして星々」という作品は図らずもこれまで私が書いた全作品の中で最も自分が満足できる曲となってしまいました。が、しかし「禍福は糾える縄の如し」(良いことと悪いことは交互にやってくるもの、という喩え)という言葉にある通り、その後気力と体力を使い果たしたことが原因なのか、寒暖の差なのか、単に年齢のせいなのか、体調を著しく崩してしまいました。しかしその後、リハビリを重ねているうちに、また新しい作品の構想が少しずつ貯まり始めたのですが、その中には再び弦楽四重奏曲の構想があります。

偉そうに聞こえますが、弦楽四重奏という媒体、私にとってはライフワークになるかもしれません。別にベートーヴェンに勝負を挑もうというわけではないのですが(そもそもそんなことできるわけもない)。弦楽四重奏はオーケストラのひな型と言ってもよく、その小宇宙は4声という限定されたパートゆえ、音を厳選せざるをえず、自ずと自分が何を一番したいのか、自分の進むべき方向性、音の哲学が勢い、磨かれる結果となり、自らの進む道を作品によって知らされるという意味で、まさにこの編成自体がわが師匠、導き手、という気が致します。そして何よりも私は弦楽四重奏という編成が大好きなのです。構想とスケッチは私が求めるまでもなく、私の頭の中で勝手に進んでいるのですが、しかしここは先を急がず、満を持して作曲にかかれるよう、しばらくは頭の中で放っておくつもりです。

よき作品というものは木々が生育するように自らが太陽に向かって枝を伸ばし、大地に根をはるように成熟してゆくものです。まさに機(木)が熟すのを待つわけです。