デューク・エリントン

スウィング・ジャズの巨匠、デューク・エリントンは来年、生誕120年。言わずと知れた「A列車で行こう」「ソフィスティケイテッド・レディ」「スウィングしなけりゃ意味ないね」など代表曲は数えきれない。ところで私が好きな作曲家にフランスのオリヴィエ・メシアンがいるが、今年は生誕110年。エリントンとメシアンの年齢差は11歳。ただそれだけ。別にそれ以上、言うことはない。二人が出会ったという記録もない。表面上の接点はどこにもない。

さて、武満徹さんが初めて渡米した折、彼を招待しアメリカでの生活をオーガナイズした側からの「誰に師事したいか」との質問に「デューク・エリントン」と答えたことはかなり有名なエピソードで、なおかつ質問した側は冗談かと思い本気にしなかった、というオチ(?)もよく知られている。立花隆さんの武満徹に関する評伝の中で武満さんはかねがね、メシアンの音楽をJazzyだと感じており、さらにメシアンの作品のなかにデューク・エリントンと全く同じフレーズを発見し、そのことをメシアンに(誉めるつもりで)伝えたところ、メシアンは大変怒ったという話が書かれている。メシアンの音楽は基本的に様々なモードで書かれた音楽である。エリントンもモードを使い、当時としては驚くべき先鋭的なハーモニーを使い、(当時まだ)ポップ・カルチャーの花形であったジャズという文脈のなかで非常に実りある仕事を残した。二人の作曲家は畑こそ違うとはいえ、豊かな大地にしっかりと根を下ろし、太い幹を育て、日に向かって枝を伸ばし、多くの実をならせたのである。今の現代音楽のほとんどは大地に根をおろしていない。コンクリートの上に造花を無理やり接着剤か金具でとめているだけのようである。開発、発展、進歩の名のもとに自然を破壊している今という時代をよく反映している。そういう意味では確かに「現代音楽」ではある。

昨夜、大変疲れて帰宅して、ふとデューク・エリントンのことを思い出し、ディスクを取り出して聴いた。名作「ソリテュード」。乾いた心、魂の隅々にまで音楽が染みわたってゆくのを感じた。