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桜桃忌/太宰、ラヴェル追記

前のブログに私は太宰治が自身の短編小説の中で僅かではあるものの、モーリス・ラヴェルについて書いていることが戦前(太平洋戦争前)という時代を考えるとすごい、という意味のことを書きました。

でも、これを今の時代で考えると、例えば村上春樹が武満やシュトックハウゼンについて書いているようなもの(氏が実際に書いているかどうかはわかりませんが、ジャズとともに相当なクラシック・ファンである氏はもちろん、武満もシュトックハウゼンも他の現代音楽も知っているでしょう)かもしれません。

戦前と今とでは情報が世界を飛び交う量や速度もたしかに天と地ほどの差があるでしょうが、しかしだからといって戦前の日本が全く文化的に閉塞的な状況だったと考えるのはある意味、あの時代への偏見であり、誤解でありましょう。世界的な音楽家、文化人が多数来日し、伊福部昭の作品がヨーロッパでチェレプニンに認められ賞をとる。そしてそのことが新聞に大々的に報じられる。むしろ現代のマスコミの方が新しい芸術、特に現代音楽に対して冷淡で排他的、保守的、無教養といってよいのではないでしょうか。

考えてみれば帝大仏文科の学生(ほとんど出席していなかったものの)で新しもの好き、ええかっこしいの太宰は最先端の芸術に触れる機会はあっただろうし、音を聴いたかどうかは別としてとにかく当時の最新の音楽について知っていたのです。それで一種の文化的ポーズ、知的ファションとしてラヴェルの名前を引き合いに出した・・・ありそうな話ですね。ティーンネージャーが最新の音楽情報を語るように(笑)。

本日は桜桃忌でした。

梅雨の季節になりました。世間はサッカー・ワールド・カップで日本が一勝し、大騒ぎ。

さて今年は太宰治の没後70周年でテレビでもいくつか特集をやっているようです。今日はその死を悼むの日、桜桃忌。実際に亡くなったのは6月13日ですが、玉川上水に入水し、その遺体が上がったのが奇しくも誕生日の19日だったので、夏の季語でもあり、太宰自身の短編のタイトルでもある「桜桃」に因み、6月19日は桜桃忌と名付けられました。

私の住む府中市のお隣、三鷹市は太宰治が長く住んでいた町で、お墓も三鷹にあります。小説「東京八景」に登場する中央線の三鷹電車区の上を通る長い陸橋は今も健在です。あそこから夕陽を眺めて太宰の真似をしたことも一度や二度は(笑)・・・因みに遺体が上がった場所は私が通っていた明星学園高等部の校門付近で、私が高校でお世話になった保健体育の教諭、柳沢先生は若いころ、ちょうど宿直の夜勤明けの朝に、その現場を目撃したそうです(このことは猪瀬直樹のノンフィクション小説「ピカレスク」でも言及されています)。「・・・上水脇の草むらに太宰さんは仰向けに寝かされていて、細くて高い鼻がきゅっと上を向いていたのがすごく強烈に記憶に残っているなぁ・・・」と柳沢先生は語っておられました。

私は(たぶん多くの太宰ファンと同じく)十代から断続的に心酔と拒絶を繰り返しながら太宰文学のほとんどを読み続けてきました。今でも昔ほどではないにせよ、時々読み返します。好きな作家、わが生涯の作家、そう言っていいと思います。そういう作家は日本文学の作家では太宰治と堀辰雄だけです(太宰と堀は全く個性が異なり接点もありませんね)。作曲家に喩えて言うと、グスタフ・マーラー(太宰)とモーリス・ラヴェル(堀)のようなものかなぁ(え?全然違うって?)

因みに太宰の短編小説の中にモーリス・ラヴェルに僅かながら言及されている箇所があります。あの当時(戦前)、紛れもない当時の現代音楽であったラヴェルについて、曲がりなりにも何か語れる太宰ってやっぱりすごい人だったんだなぁと改めて思います。