桜桃忌/太宰、ラヴェル追記

前のブログに私は太宰治が自身の短編小説の中で僅かではあるものの、モーリス・ラヴェルについて書いていることが戦前(太平洋戦争前)という時代を考えるとすごい、という意味のことを書きました。

でも、これを今の時代で考えると、例えば村上春樹が武満やシュトックハウゼンについて書いているようなもの(氏が実際に書いているかどうかはわかりませんが、ジャズとともに相当なクラシック・ファンである氏はもちろん、武満もシュトックハウゼンも他の現代音楽も知っているでしょう)かもしれません。

戦前と今とでは情報が世界を飛び交う量や速度もたしかに天と地ほどの差があるでしょうが、しかしだからといって戦前の日本が全く文化的に閉塞的な状況だったと考えるのはある意味、あの時代への偏見であり、誤解でありましょう。世界的な音楽家、文化人が多数来日し、伊福部昭の作品がヨーロッパでチェレプニンに認められ賞をとる。そしてそのことが新聞に大々的に報じられる。むしろ現代のマスコミの方が新しい芸術、特に現代音楽に対して冷淡で排他的、保守的、無教養といってよいのではないでしょうか。

考えてみれば帝大仏文科の学生(ほとんど出席していなかったものの)で新しもの好き、ええかっこしいの太宰は最先端の芸術に触れる機会はあっただろうし、音を聴いたかどうかは別としてとにかく当時の最新の音楽について知っていたのです。それで一種の文化的ポーズ、知的ファションとしてラヴェルの名前を引き合いに出した・・・ありそうな話ですね。ティーンネージャーが最新の音楽情報を語るように(笑)。