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最近の作品について

今、私はディジュリドゥとチェロ、打楽器のための「ソナタ・パシフィカII」という作品を書いていて、間もなく完成する予定である。ディジュリドゥとはオーストラリア先住民アボリジニの楽器で、それはシロアリに中心部を食べられて筒状になったユーカリの木で作った大変シンプルな楽器である。その起源は一千年前とも一万年前とも言われ、多くの謎に包まれているが人類最古の楽器のひとつであることは間違いない。構造的には大変シンプルだが、その音はまさに木霊あるいは大地の神の声そのものと言ってよいほど神秘的なものである。私は今度の作品でチェロに人間を象徴させ、自然を象徴させたディジュリドゥと組み合わせることで人間が自然と一体化するという、おそらくは人類が遥か昔から夢見ているであろうヴィジョンの一万分の一でも表現できたら、と願う。ディジュリドゥを担当するのは日本における第一人者、哲J氏。映画音楽やポップス、ロックのシーンで大活躍している極めてクリエイティヴなアーティストだ。チェロは私の作品に長年携わってくれている井上雅代氏。打楽器は今回は私自身が担当する。先日、井上さんとだけ、既に楽譜になっている部分によるリハーサル兼打ち合わせを行ったが、大変いい手応えを感じた。よい作品になるに違いない。コンサートは11月29日(水)午後6時半、東京オペラ・シティ・リサイタル・ホールにて日本現代音楽協会主催 秋の音楽展。皆さん、どうぞお出かけ下さい。

まもなく10月

今年の夏は暑かったですが、ようやく秋らしくなりました。

突然、降って湧いたような衆議院選挙。いまなぜこの時期に?とみんなが思っています。そのはっきりした意図は計りかねますが、政治素人の私にも・・・いや素人だからこそわかることがあります。次の選挙は投票率こそ低いでしょうが、自民党が圧勝します。私は特定の政党や議員を支持していない、いわゆる世の中にたくさんいる無党派層の一人ですが、自民の圧勝は保証します。なぜならいま、この国際的に微妙な時期に誰が政権交代を望むでしょうか。もっと安定した時期だったらお試し期間ということで小池サンに望みを託してみようか、という気になるかもしれません。都政ならそれでもよかったのですが、国政となると外交もありますので、そう簡単にはゆきません。

因みに民進党はこの選挙で終わりです。旧民主党政権時代の失政につぐ失政で、もうかの党に政権を任せようという人はいないでしょう。それに旧民主党は政権を取ったタイミングも悪かった。東日本大震災がなかったら、もう少し長期政権になって、そこでの実績がその後の評価につながったかもしれません。運が悪かったわけですが、運も実力のうちです。

私は政権与党というものは保守的でよいと思っています。そして優れた(優れた、ですよ)野党があれこれ監視の目を光らせ、与党の動向を補正し時にはサポートしてゆくのがあるべき政治だと思います。「おれ、反体制」とかっこつけても、体制がしっかりしていなければ反体制も存在しえないのです。

テレビニュースでは選挙関連の報道が盛んになり始めていますが、政治とはいずれも狐と狸のばかしあい、数の調整なのだな、と見ていてばかばかしくて深い無力感に襲われます。政治とは芸術のもっとも対極にあるものでしょう。

それで思い出しましたが、昔ある左翼系の音楽家が「音楽家の政治参加」を音楽家に向かって呼びかけたことがあります。何をもって「音楽家の政治参加」とするのか、その定義もあいまいで、提唱者すら自らその定義をはっきり行っていませんでした。いずれにせよ「政治」の意味も「音楽」の本質も全く理解していない、非常に愚かな、たとえ若気の至りと多少、情状酌量の余地があったとしても、全く馬鹿丸出しの発言でした。

弦楽四重奏というものについて

昨年末、私が愛して止まない写真家・星野道夫さんの没後20年を記念して、弦楽四重奏のために書いた「風、河そして星々」という作品は図らずもこれまで私が書いた全作品の中で最も自分が満足できる曲となってしまいました。が、しかし「禍福は糾える縄の如し」(良いことと悪いことは交互にやってくるもの、という喩え)という言葉にある通り、その後気力と体力を使い果たしたことが原因なのか、寒暖の差なのか、単に年齢のせいなのか、体調を著しく崩してしまいました。しかしその後、リハビリを重ねているうちに、また新しい作品の構想が少しずつ貯まり始めたのですが、その中には再び弦楽四重奏曲の構想があります。

偉そうに聞こえますが、弦楽四重奏という媒体、私にとってはライフワークになるかもしれません。別にベートーヴェンに勝負を挑もうというわけではないのですが(そもそもそんなことできるわけもない)。弦楽四重奏はオーケストラのひな型と言ってもよく、その小宇宙は4声という限定されたパートゆえ、音を厳選せざるをえず、自ずと自分が何を一番したいのか、自分の進むべき方向性、音の哲学が勢い、磨かれる結果となり、自らの進む道を作品によって知らされるという意味で、まさにこの編成自体がわが師匠、導き手、という気が致します。そして何よりも私は弦楽四重奏という編成が大好きなのです。構想とスケッチは私が求めるまでもなく、私の頭の中で勝手に進んでいるのですが、しかしここは先を急がず、満を持して作曲にかかれるよう、しばらくは頭の中で放っておくつもりです。

よき作品というものは木々が生育するように自らが太陽に向かって枝を伸ばし、大地に根をはるように成熟してゆくものです。まさに機(木)が熟すのを待つわけです。

まだまだ猛暑

さて厳しい暑さが続きます。健康管理に気を使います。みなさんお元気でしょうか。

私は今年の前半はちょっと体調を崩してしまいましたが、徐々に快方に向かい今は適度に運動をしながら頭はほどほどに使って仕事に励んでいます。それにしてもこの暑さ。無理しないで疲れたら休むようにしています。それでもいつも持ち歩いている作曲の創作ノートは毎日、たくさんのスケッチ、アイデアが書き足され、ページは音符と言葉の密林と化しています。

さて、いま、とりあえず決まっているコンサートはまず、11月12日(日)東京タワーの展望台で行われる文化イヴェントで拙作が取り上げられます。次いで11月29日(水)東京オペラシティ・リサイタル・ホールにおいて日本現代音楽協会主催、秋の音楽展でチェロとディジュリドゥ、打楽器のための「ソナタ・パシフィカII」という作品が初演されます。ディジュリドゥとはシロアリに中身を食べられて真ん中が空洞になったユーカリの木で作られたオーストラリア先住民アボリジニの楽器で、人類最古の楽器とも言われています。その楽器を西洋の楽器とコラボレートしたものです。また近くなりましたら、詳細をお知らせ致します。

暑い日が続きます。

暑中のお見舞いを申し上げます。早いもので明日からは8月。皆様お元気ですか。今年の夏は特に暑さが厳しい気がしますね。台風5号とやらが南方をうろちょろしているそうで、どうせ日本には来ないだろうとタカをくくっていたら、予報ではどうも来週あたりに日本に上陸するらしいというのです。ただでさえ、常軌を逸した大雨で各地に甚大な被害が出ているというのに、いったいどうしろというのでしょう。・・・昨今の異常気象は地球温暖化によるものであることは誰の目にも明らかなのに、それを否定し自分たちの利益のみを追求しようとする大国の為政者、それに対してまともに意見も出来ないこの国の政治家。まったく情けない限りです。個人としてはなるべく心と体を柔軟にして厳しい環境に適応してゆくしかありません。

このところ、新しい作品のスケッチ、デッサンをたくさん書いています。それでいつも持ち歩いている、わが作曲のネタ帳(?)のページは日々、夥しい音符と数字と言葉と絵(私はいつも絵を描きながら曲を発想します)で埋め尽くされています。そのうちのひとつふたつはヴァイオリンとピアノのデュオ、そしてもうひとつふたつはおそらく大規模な室内楽もしくはオーケストラになりうる可能性があります。

・・・オーケストラを書くことは単純に書く音も選び取る音の選択肢も多くなるため、大変労力のいる作業です。しかし上演の可能性、機会は限られているため(委嘱などがあれば別として)コストパフォーマンスを考えるとなかなかリスキーなものです。しかし可能性があれば挑戦したい分野です。出来そうか、どうか、そうしたことを探るためにも日々、スケッチとデッサンを根気よく繰り返す必要があるわけです。

私の住む町は緑豊かで趣味のよいカフェもたくさんあるので、思索するのにはよい環境です。

それでは皆さん、暑いですが、それぞれ工夫して夏を楽しみ、乗り切りましょう。

もの思う葦

季節は梅雨に入り、今日の関東地方はなかなか強い雨風です。

今年の初め頃にちょっと体調を崩してしまい、いろいろ予定していたことを一度全てキャンセルにせざるをえませんでした。最初のうちはそれがかなりのフラストレーションになりましたが、これはこれでしかたがありません。これも必然、と一旦仕切りなおししているところ。それで、そうこうしているうちに新しい作曲のアイデアも徐々に溜まってきて、少しずつ新しい作曲にとりかかっています。いま頭の中にあるのは、たぶんピアノ曲か室内楽になるだろうと思いますが、いくつかの小品からなる組曲風のもので世界中に残る古代、石器時代の洞窟画、岩絵(ペトログリフ)に霊感を得たものです。また打楽器のための新作も少しずつ形をとりつつあります。

体調を崩して寝ている時、夢の中でいくつか不思議な音楽を聴きました。その体験は今後の私の作品に大きな影響を与えることでしょう。私は音楽の早期教育も受けていないし、深い教養もなく、また学校ではいつも成績が悪いものでした。しかし逆にそのおかげか「音楽はこうあるべき」という固定観念がなく、自由に曲を書いてきました。好き勝手流自由楽派。それでよかったと思います。

いま書いている作品は現在のところまだ発表の予定はありませんが、今年の秋から来年初めにかけて、またいくつかのコンサートを予定しています。お出かけ頂ければ幸いです。

3月3日の夢

 

みなさん、お元気ですか。

月日の流れるのは早いもので2017年も3月。今日は雛祭り。1月から2月は寒暖の差が激しかったものの、今日は雛祭りらしい、穏やかな日です。

昨晩、不思議な夢を見ました。チェロとも筝ともいえぬ(その両方を合わせたような)形の楽器を奏でている楽人の夢でした。しかし、その音というのが、チェロとも筝ともいえぬ(笑)・・・いや、全くそれらとは似ても似つかぬ不思議な響きで(記憶では弓で鳴らしているようでしたが)途中から複数の人の声も参入(明らかにクラシックの発声ではなかったです)して、清らかなのにどこかデモーニッシュな魅力のある、今までに私が聴いたことのない官能的な音楽でした。しかもそれは何らかの制約があるようには聴こえない、完全に自由な音楽(これこそ私の理想とする音楽です)に思え、それは延々と夢の中で続いたのです。私は夢の中で、この曲の作曲者の才能に嫉妬を覚えるほどでした。

目が覚めてしばらくその音楽を憶えていましたが、次第に鮮明なイメージは薄れてゆきました。しかしその音楽の形態、響きのイメージ、その音響の持つ天使とも悪魔とも言い難い多様なスピリチュアリティは今でも記憶の中にはっきりと残っています。何よりもそれは真の意味で完全な自由音楽が作曲可能なのだ、ということを私に教えてくれました。

もしかしたら、この夢は雛祭りの朝に五人囃子(笑)から私への贈り物だったのかもしれません。

・・・そういえば黒澤明の晩年の映画「夢」のなかにも雛祭りに因んだエピソードがありました。みなさま、よい桃の節句をお過ごし下さい。

もの思う葦

アメリカに新しい大統領が誕生した。彼の使う言葉のセンス、品位のなさ、その容姿などから決して人に好かれるタイプではない。しかしそんなことは本人もわかっているだろうし、だいたい人に好かれるために大統領になったわけでもなかろう。私が目にした限りではトランプ氏のことをよく言っているメディアはなかった。トランプ氏を批判することは簡単だ。しかし彼の言っていることのいくつかはごく当たり前の、常識的なことのように思える。

自分の国で使うものは自分の国で作る。これは地産地消の考え方だ。これについては食糧問題において見れば賛同する人は多いのではないか。たとえば食糧自給率の極端に低い日本は本当にこのままでよいのか。

移民、難民の問題。トランプ氏の言い方は確かに極端だ。しかしリベラル派が時々唱える「人は何でも分かり合える(はずだ)」という考え方は理想主義を通り越して私にはもはや「甘え」に思える。人と人の間に壁はいらない、という考え方も同様だ。美しい理想のように聞こえるので、それに反対する人はコチコチの保守主義者かファシストみたいに言われそうだが、私は人と人とは程よい距離を保って初めて友好的に付き合える、と考える。

私たちの暮らす日常において、この「程よい距離感」というものに明確な基準はなく、結局それはお互いのセンスにかかっている。つまり、そのセンスのない人が無作法に人の心に踏み込んできた場合、こちらで距離を取るか、心理的または(時には)物理的フェンスを設けざるをえない。

望ましい最高の関係とは精神的、経済的に自立した人同士がお互いを尊重しあい、ほどほどのおつきあいすることである。それぞれの国の文化、民族を何もかもフュージョンすることがインターナショナルということではないし仲が良いということではない。それぞれの民族、国家は経済的、文化的に自立して初めて他の国と対等に友好的に付き合える。これは日常の人間関係においても同様だ。自宅に他人が許可なく上がり込んで好き勝手なことを始めたら、誰だって嫌だろう。

もちろん移民、難民の問題は貧困や紛争が背景にあり、一朝一夕に解決する問題ではない。同情すべき点は多いものの、自分の国を脱出したいと思う人達が最終的に彼らが母国に戻り暮らせるように手助けすることが結局、唯一の解決策である。

 

2017年 新年のごあいさつ

2017年が明けました。昨年も内外に看過できない様々な問題が多く起きました。・・・地震そして度重なる大型の台風は狭い日本の国土と、そこに住む人たちの生活をずたずたに傷つけました。大型台風については背景に地球温暖化の問題があり、自然災害だから仕方がない、と言って片付けられるものではなく、人類共通の敵として世界は団結しなければならず、つまらない小競り合いをしている場合ではありません。国を背負って立つべき立場の者同士がまるで子供のけんかのような低レベルの言い争いをする場面が多いことも気になりました。人類は成熟するどころか幼児化が進んでいるのでしょうか。今年はいったいどういう年になるのでしょう。

恐れながら私の事に限って言いますと、昨年は音楽的には収穫の多い年でありました。アメリカ在住の前途有望なマリンバ奏者、岡村彩実さんとDe Simone氏に出会い、新作を提供できたことは大きな喜びでした。今後も彼らのために作品を書いてゆくと思います(既に複数のアイデアがあります)。また写真家・星野道夫さんへのオマージュとして作曲した新作の弦楽四重奏曲はおそらく、私のこれまでの作品の中で最も重要な曲と位置付けています。今年はこれらを新たな出発点として、次のステップに迷わず(そういえば最近、迷うという言葉自体を忘れていました。小さなレベルでの迷い、というよりベストを選択するための試行、思慮はありますけれどもね)、果敢に前進します。

いつも聴きに来て下さる聴衆の皆様、拙作を演奏して下さる第一級の演奏家の皆様に心からの感謝を送ります。どうか今年もよろしくお願い申し上げます。

今年が皆様にとって穏やかな年でありますように。

師走。

先日12月7日、東京オペラシティで行われた拙作初演を含むコンサートにお出で下さった皆様、年末のお忙しい中、ありがとうございました。楽しんで頂けたとしたら、とてもしあわせです。

演奏して下さった、弦楽四重奏のアンサンブル・ラインのみなさんのおかげで、私としてはここ数年間に書いた作品の中で最も重要な作品になったと思います(というより、これまで書いたすべての作品の中でも上位に属すると思います)。特に今回は敬愛する写真家・星野道夫さんの没後20年にちなみ、彼へのトリビュートとしての、特別な作品でありましたので、無事終わりまで書けて本当に本当に、よかった、と思います。

作曲に集中している間は風邪もひかないものですが、作品が完成し、演奏者に楽譜を送った後、ほんのちょっと気が緩んだわずかの隙に大風邪をひいてしまいました。本番までにはなんとか治しましたが、体力はいまだ戻らず、よく休養するようにしています。

今後は少し、小品や組曲のようなものをぽつぽつ書きつつ、次の大作に向け、構想を練ってゆくつもりです。

姉が薬剤師なのですが、ほんと、巷では風邪だのインフルエンザだの、あるいは他にもいろいろな病気(ノロウィルスとか)が流行っているみたいですね。みなさまもどうか健康に気をつけて、この冬を楽しく過ごしましょう。