もの思う葦

先日、私の3歳年下の従妹が亡くなった。癌であった。彼女はある音大でピアノを学んだが、卒業後は高校で音楽教師をしていた。音楽の授業の他、吹奏楽の指導やNPOの活動にも参加し、かなり多忙であったようだが、人を育てることに生きがいを感じ、充実した日々を送っていたそうである。2年前に病が発覚し、手術、薬物療法を行い、何度か入退院を繰り返したものの、最後まで仕事を続けた。最後の入院の時もベッドの上でテストの採点や次の授業の準備をし、また今はちょうど学校吹奏楽コンクールの季節だが、その応募の書類手続きが進んでいないことを最後まで気にしていたそうである。最後の最後まで音楽と自分の生徒たちのことを考えていたという。

彼女の人生は決して長いものではなく、やり残したことは多かったと思う。が、しかしほぼ完全燃焼した人生ではなかったか。子供の頃はともかく、お互い大人になってから会う機会は少なかった。だが私は彼女の生き方、そして(許される言い方であるなら)、人生の締めくくり方から、とても多くの学びを得る。

お知らせ

暑い日が続いております。みなさんお元気ですか。

さて来る7月23(土)、24日(日)に大阪茨木市の阪急総持寺駅近くにあります、アマービレ楽器サロンにおきまして、現在アメリカ、ボストンに留学中のマリンバ奏者、岡村彩実さんのリサイタルが開催されます。岡村さんと私は今年の初めころ、ひょんなことから知り合い、今回、私は彼女と相方であるダン・シモーネ氏によるマリンバ・デュオのためにマリンバ連弾の新曲を書き下ろしました。岡村さんはすでにアメリカ、ヨーロッパを中心に活動しており、将来が大変期待されている新星です。この若い才能に耳を傾けて頂きたく、お近くにお住まいの方は足をお運び頂ければ幸いです。内容は私の新作の他、アメリカの現代音楽が中心のプログラムです。

7月23日(土)19時開演、7月24日(日)14時開演/入場料:1,500円

場所:大阪府茨木市 阪急総持寺駅徒歩3分、アマービレ楽器駅前サロン

チケット問い合わせ:072-628-4356

 

不愉快な真実

今年は空梅雨とのこと。東京の水がめである河川上流域では雨が降らず、一部地域では取水制限が出されている。その一方で九州、広島など西日本は大雨。特に九州では地震の影響で地盤が緩んだ上に大量の雨が降ったため深刻な土砂災害が頻発している。小さな国土の日本がまるで地球のひな型みたいになって地球温暖化、気候変動の集中砲火を受けている。

いまだに地球温暖化はCO2の排出によるものではない、工業のせいではない、人間のせいではない、と言う輩がいる。いずれも化石燃料に関係する企業とそこから金を貰っている政治家、あるいはそれを主な生業とする国家である。

私は基本的にこの宇宙、世界に良い、悪いはないと思っている。たいていの場合、人間がそれぞれの立場で勝手にそれを決めて俺は正しい、あいつは間違っている、よし、やっつけてしまえ、と争っているだけである。

ただし例外的に目先の私利私欲に目が眩んで地球環境を滅ぼそうとしている無知性は、やはり悪、と呼んでいいのではないかと私は思っている。とはいえ、人間なんて全滅した方がむしろ地球環境にとってはよいのかもしれないね。環境の悪化で人類が滅びてからどれくらいで地球がもとの状態に戻るのか知りたい。案外、速かったりして。

雑考/追補

都知事が責任を追及されてとうとう辞めることになった。では都知事選にかかる莫大な費用は誰がもつのでしょうか?もちろん都民(の税金)である。それを考えると、本当にそれでいいのかな?と首をかしげてしまう。自民党としてはとかげのしっぽ切りと同じで辞めてもらったほっとしているのだろうけど。下手すりゃ自分のところに非難が飛び火しかねないからね。

与野党のどこの議員も言ってないが、都知事選の費用を全て彼に負担してもらったらどうだろう?私はそれだったら全て水に流す。そのうえでなら、こんどの知事選に再出馬したっていいよ。それと、使い込んだお金は果たして返してくれるんでしょうか?言葉で謝ってすむと思ったら大間違い。謝って借金帳消しなら銀行も金貸しもいらない。湯河原の別荘を売却してそれを都に入れて下さい。

などと、形而下の話をしていたら、心が貧しくなったようで悲しくなってきた。もうやめよう。・・・先日、マリンバ連弾のための新曲を書き上げました。これまで私は室内楽や打楽器アンサンブルの中でのマリンバ・パートは書いたことはありますが、マリンバのためだけの作品はこれが初めてです。才能豊かな若手マリンバ奏者、岡村彩実さんが取り上げてくれるそうで、楽しみです。彼女は現在ボストンに留学中で、大変、将来のある人です。

現在、私は秋のコンサート・シーズンに向けて新作に取り掛かっているところ。私にとっては4つめとなる弦楽四重奏曲です。これまで以上に抒情的でロマンティックな作品にしたいと思っています。

 

この頃の雑考

だいぶブログの更新をさぼっていました。梅雨に入ったとのことですが、あまり雨が降らず、季節は既に初夏。

テレビを付けると、みんな同じ話題で同じようなことをしゃべっている。アイドルが不倫するとワイドショーで大バッシング。今は都知事の税金の私的流用問題で都議会は紛糾しているそうだが、テレビでもこの話題で盛り上がっている。各局が全く同じ時間に全く同じ話題を取り上げていることの異常さ、気持ちの悪さ。コメンテイターの言っていることもだいたい同じ。もっともこんなことは別に今に始まったことではないのだが・・・不倫も税金の私的流用も褒められたことではないし、彼らの味方をする気はない。しかし、どう見ても反論しようのない人を捕まえて集団でリンチしているようにしか見えない。都知事の公私混同問題は法的な話に持ち込んで解決し、これ以上、エモーショナルに反応すべきでなく、メディアも煽るべきではない。確かに政治については常に市民の適切な批判は必要である。しかしバランスの取れた良識ある人々がする批判というものは常に控えめなものである。

 

 

 

 

もの思う葦

九州熊本県を中心に大きな地震があり、甚大な被害が出た。私も被災した方々のために自分のできることをする。

・・・日本の地殻は活発な活動期に入っているようだ。この狭いが、美しい国土がこれ以上傷つくことに耐えられないが、地球という生きた惑星に一時、間借りさせてもらっている以上、私たちは覚悟しなければならない。

現在原発は一応、安全に稼働しているということだが、何か大規模災害がある度に大丈夫か、気になるような厄介者は最初から持たない方が、安心して暮らせると思うのだが。

写真家、星野道夫さんについて。

気が付かなかったのだが、今年は写真家、冒険家、エッセイスト星野道夫さんの没後20年なのであった。最近NHK-BSで彼の特集番組があってそのことを知った。今年は武満徹さんの没後20年でもあり、そうか・・・、1996年は私に深い、深い影響を与えた二人の芸術家が相次いで亡くなった年だったのか・・・

もっとも武満さんと違って、星野道夫さんのことは亡くなった後にはじめて彼の名前を知ったのであったが(おそらく追悼のための写真展の開催や書籍が出版されるなど、メディアで名前を見聞きする機会が増えたためであろう)。アラスカの自然とそこに生きる動物や人々を活き活きととらえた写真と人柄を感じさせるエッセイ。私の音楽の様式は彼の写真や文章なしには確立しなかっただろう。実際、私は自作のひとつ、弦楽四重奏のための「天と地」を非公式ながら(ご遺族の許可をとっていない、という意味で)星野道夫氏に捧げている。

私の音楽は自然、とりわけ寒い地方の自然と民族の文化から多くのインスピレーションを得ている。それは幼い頃から両親によく山に連れていってもらったことと無関係ではない。高原の冷たく澄み切った大気、高い山に特有の、宗教的といってもよいほどの神聖な雰囲気。山への愛と北国への憧憬がいつしかひとつとなった。

もっと早く星野道夫さんのことを知っていればよかった。そうすれば生前、何としても会いに行っただろう。アラスカは何としても近いうちに訪れたい場所である。

あの日から5年。

2011年3月11日は誰にとっても忘れがたい日であろう。あの日の近辺の記憶を掘り起こしてみる。実は3月6日から震災の前日の10日まで私は東北から函館にかけてを旅している。

記憶では3月6日に東京駅から1日前に開通したばかりの東北新幹線はやぶさに乗って新青森まで向かう(駅に停車する度にホームではやぶさの車体を撮影するたくさんの人がいたのを思い出す)。一日目は五能線の千畳敷に、翌日は太宰治の生家である斜陽館に向かい、近くの民宿にそれぞれ一泊。そして3日目以降は青函トンネルを渡り函館に入る。

今思い返せば、既に小さな地震が頻発しており、そういうのを余震といったらよいのか、震災の予兆は確かにあった。8日夜、ホテルで休んでいると姉から携帯電話に連絡があり、厚木に住んでいる叔父が亡くなったことを伝えられる。「あんたいつ帰るの?叔父さんのお通夜は11日だからそれには間に合うように帰ってよ」。調子が乗ってくると一日、二日くらい帰京を伸ばすのが当たり前の私はそう姉に釘を刺された。今になってあれは亡き叔父に10日のうちに戻れ、と言われたのかもしれない・・・などと、思うのである。

しかし一方でこの時期、東北を訪れて被災した方々がいるし、何よりもそこに住まわれていて被災し、愛する人を失い、故郷を捨てざるをえなかった方々がいる。私と彼らの間に何か人間的な違いがあるわけではない。ただ、たまたま、偶然そういうことになった、という事実が存在するだけだ。そこには人間の浅い知恵が作り出す解釈も意味もまったく入る余地のない、人生の不条理、一切の無常があるだけである。

私に出来ることは亡くなられた方々の魂の平安と、そしてありふれた言い方ではあるが、被災地の一日も早い復興(被災された方々の心のケアも含めて)を祈り、自分に出来ることをする、ということぐらいである。そして音楽に何が出来るのか、ということも常に考えている。

今年は武満徹さんの没後20年です。

昨日2月20日は武満徹さんの御命日でした。その日に合わせたのでしょう、文藝春秋社より立花隆さんの著書「武満徹 音楽創造の旅」が発売されました。これは立花氏が武満氏の晩年に行った累計百時間に及ぶインタビューに基づいた大著です。

およそ20年前、それは雑誌連載の形で発表され始め、一旦、完結。続編も予定されていたようですが、それは武満氏の突然の死によって不可能となりました。雑誌に掲載された部分はそれほど時を経ずして単行本として出版されることが期待されていましたが、様々な事情でその後18年間、封印されてきました。その辺りの経緯と今回、長い時を経て出版に踏み切った立花氏の思いはあとがきに記されていますが、そこを読むだけでも深い感銘を受けます。本は雑誌に掲載されていた部分と武満氏が亡くなった後に書かれた部分の2部から構成されています。武満氏本人の著書を除けば、おそらくこれまでに発表された武満芸術に関する著書のなかでもっとも重要なものでしょう。

ドビュッシー、ラヴェル、ベルクと並ぶ、偉大な作曲家と同じ時代を生きられたことに私たちは喜びと誇りを感じることでしょう。多くの人に読んでほしいと思います。

冬の旅

何の酔狂か、1月18日(月)より数日間、北海道を旅した。行き先は根室、今週の始めのことである。もうおわかりかと思うが、東京に大雪を降らせた、あの爆弾低気圧の到来と旅行の時期が見事に重なってしまった。なぜこの時期に旅を?と思われるかもしれない。冬の北海道、とりわけ道東の厳しい冬の海をどうしても見たくなった、ということに尽きる。

18日東京は大雪、との予報を前夜のニュースで知り、交通の遅延を考え、急遽その晩のうちに羽田に行き、空港のロビーで夜を明かす。そして翌18日は予報通りの初雪。滑走路の除雪が間に合わず、予約していた便は欠航、しかし次の便に何とか席が取れ、機上の人となる。東京の交通は大混乱だったそうだが、降り立った釧路の街は雪も少なく、穏やかそのもの。なんだ大したことなかったじゃないかと安心したのが私の浅はかさ。私の乗った飛行機は低気圧の渦を飛び越えていただけで、渦はむしろこれから私のいる所へ来ようとしているのだった。

列車を乗り継いで何とか根室にたどり着いたのは夜7時近く。宿に着いたのが7時半ころ。羽田での夜明かしと予定していた便の欠航、その後の度重なる遅延にもはや体力は限界。しかし宿のご主人の口から出た言葉は「いま根室に避難勧告が出ました。お客さん、どうします?」JRは既に全面運休を決定したとのこと。なんと私を乗せて来た列車が最後の運行であった。どーすんの?